死と向き合うこと | 1/3の力でいいんじゃない?

死と向き合うこと

この間、妊婦健診&マタニティビクスがあったので、
病院の帰り、いつものように実家に寄った。
大体いつも母の携帯に電話して、「家にいる?まだ仕事?」と
聞くんだけど、(病院と会社が近い&終われば帰れる仕事なので)
その日はまだ会社にいて、私の方が先に着いてしまうので、
母がこんなことを言った。


「あのさ、家入る時下に気をつけてね

私はすぐに意味がわかった。
ウチには私が中学の時に拾ってきたがいて、
去年の10月にガンの診断をされ、もう手遅れだったことから
治療もできずにどんどん弱ってきていて、もうダメかな?と
年末あたりから感じていたからだ。

あまり食べられなくなってどんどん痩せ細り、腫瘍がいくつも
できて進行と共に皮膚が裂けてグジュグジュしている状態だった。
その臭いもかなりキツクなってきていたけど、
週一回ビクスの後に寄り、顔だけ見てるといつもと
変らないし、自分で歩いてご飯を食べに行ったり、ミルクを
飲んだり、結構動いていたので、こんなになっても
動物って強いものだな、まだまだ生きられるんだな、と思っていた。


息子に気をつけるように言い聞かせて家に入ると、見た限り
その辺にはいなさそうなので、こたつの中だな、と思って
布団をめくる。


「じー!じー!」

名前を呼んでも反応がない。
体の幅がすごく狭くなっている。

まさか、と思いつつ名前を呼び続けた。
もう死んでしまったのかな・・・という気持ちになっていたけど
怖くて顔が見えるほうに回れないでいた。
そしたらやっと足を動かしてくれた。


なんだ!大丈夫だ!と思って安心して
顔を覗き込んでみたら・・・


瞬きをしないどころか、目の玉一つ動かさずに
遠くを見ている。


今までよりあきらかに悪くなっているのがわかった。


「もうね、病気がすごく悪くなってて動けないみたいだから
そっとしといてあげてね」
そう息子に言った。


その日、前から父に誕生日プレゼントとして
携帯を買ってもらう約束をしてたので、
早めに帰って来てもらって、みんなで携帯屋に行った。
結構時間がかかってしまって、猫の事が心配だったけど、
帰りにご飯を食べて帰る事になった。


家に帰ると、まずこたつの中を見る。
母が顔の方から覗き込み、声をかける。
私は反対側から覗き込んでお腹の辺りが動いているかチェックする。
呼吸する時の動きで確認しなければ、生きているかもわからないほど
何も反応がないから。


大丈夫、動いてる。


いつもなら夜ご飯を食べてから帰るんだけど、
前の夜ダンナとひどく喧嘩した事もあって、
この日は泊まっていく事にしていた。


9時過ぎに、こたつの横で遊んでいた息子が
「あ、今じったん(猫)動いたよ」と言った。


あんなに動けないでいるのに、こたつに足も入れてない
息子がその動きを感じ取れるわけがないので、
「うそでしょ」と言った。

「だって今どんってお布団動いたもん」


私は全然信じないでいたんだけど、母が気になって
こたつの中を覗いた。

声をかけていた母が、そっちからちょっと見てと言うので、
私が覗き込むと、ちょうど足を大きく動かした。
(その動きでこたつ布団に当たり、息子にわかったようだった)
その拍子にチョロッとおしっこが出たので、
「あ、おしっこが出ちゃったよ」と母に言うと、
ティッシュを取りに行った。

もうトイレにも自分で行けなくなって、出ちゃったんだな・・・
そう思っていたら、お腹の方までじわ~っとおしっこらしきものが
広がっていったようだった。
母が覗き込んでいたら、急に


「あ!もうだめかもしれん!」
と言うのでビックリしながら二人がかりでそーっと
こたつから出して母が抱っこした。

声も出ないんだけど、口を時々苦しそうに開いたり
止まったり・・・そんな事をし始めたので
私と母はちょっとパニックになり
泣きながら名前を呼び続けた。


そのまま、いつ死んでしまったのかもわからないくらい
静かに息をひきとった。
本当に死んでしまったのかどうかもわからず、
父が近くにあったルーペを鼻と口の前に当てたけど、
曇る事もなく、息をしていないのがようやくわかった。


傍で見ていた息子も、母と私の泣いてる姿を見て、
何も言わずにじっと猫を見ていた。
しばらくすると、私の涙を拭いてくれて
「じったん可哀想だね」と言った。

後から母に聞いたけど、そのとき息子も涙を目に溜めていたらしい。
意味はわかってないかもしれないし、もらい泣きしただけかも
しれないけど・・・。


少し落ち着いてから母と思った事がある。

息子が「動いたよ」と言った時、私は信じてなかったけど、
確かに動いていたし、その言葉がなかったら
母が最後の時まで抱いてやることもできなかったんだな、と。
その間、5分もないくらいの時間だったから、
奇跡のような気さえする。

いつもだったら、もう私達親子は帰っていたかもしれない
時間だったし、ちょうど私達が行く曜日に逝ってしまったのも
何かあるのかもしれない。
悲しいけど、最後に会えてよかった。


息子はまだ完全に『死』というものを理解してはいないから、
死んでしまった後もずっと抱き続けていた母に
「またおしっこが出るかもしれないよ」と言ってみたり、
私達のようにいつまでもそこから動けずにいるという事は
なかったけど、悲しそうな顔をして
「可哀想だね」という言葉は出てくる。


小さな子供が感じる『死』はどんなものなんだろう
ウチではクワガタ熱帯魚を飼っているので、
何度か『死』は経験してるけど、さすがにそのときは私も
ワンワン泣いたりしないので今回の事は戸惑ったんじゃないかと思う。


そしてウチには3匹の猫がいる。
まだまだ若いので元気だけど、いつかは私達より先に
死んでしまうだろう。
その時にはもう息子も理解できる年になっているだろうな。